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ロシアのフランケンシュタイン・ワグネルの帰結

 晴れ。

 FTより。反乱を終結させるの代わりに、軍事指導者であるプリゴジン氏はロシアを去った。過去30年間で初めてロシアでクーデターの試みが起きた。それを終結させるべく、ベラルーシが介在して軍事クーデターを終結に導いた。

 プリゴジン氏はロシアを出て、ベラルーシに向かうことで合意した。クレムリンいわく、反乱を終結させ、同時に彼を訴追することはしないという。

 ペスコフ報道官は、プリゴジン氏の軍事組織の戦闘員も、「前線における行いを考慮」し、訴追されることはない。今回の反乱に参加しなかったワグネル部隊はロシアの防衛省と契約することになるという。モスクワにおける潜在的な攻撃のわずか数時間前に、ワグネル部隊は突然反乱を中止した。土曜日夕のことだった。

 ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介により、プリゴジン氏は彼の部隊や兵器、戦車のモスクワ進軍を取りやめた。そして、本隊に復帰するという。クレムリンは緊急警戒を発し、首都を守るために部隊を戻そうとしていた。

 プリゴジン氏はSNSに投稿し、ロシア人の血は一方の側に流れ、「計画」に従って我々は部隊をベースキャンプに引き返すと述べた。しかし、その計画が何かについては触れなかった。

 プーチン氏はルカシェンコ氏に対し、流血の事態を避けるべく仲介を依頼した。というのも、ルカシェンコ氏はプリゴジンのことを20年来にわたって良く知っているからだ。

 土曜の反乱はワグネルが数機の軍用ヘリを打ち落とし、主要な軍幹部を拘束し、ウクライナ国境からモスクワへ進軍を始めたことを指す。今回の出来事について、プーチン氏のこれ以上の発言は伝わっていない。そして、ウクライナ侵攻は引き続き行うとしている。

 プリゴジン氏に忠誠を誓っている軍事組織ワグネルは、ロストフを土曜日夕に去り、地元住民から歓迎されている動画が投稿されている。

 一方、ワグネル部隊が通過する地元の州は、安全保障上の制限を解き始めている。通行止めにしていた高速道路も解除された。進軍に伴って破壊された道路の補修も行っているという。

 プーチン氏は当初、今回の反乱とワグネルのことを反逆罪と呼んでいた。そして、ロシア国家にとって死活的に重要な脅威であるとした。これは帝政ロシアが崩壊した1917年のロシア革命に相当するという。

 今回の反乱は、ワグネルとロシア軍の首脳陣との対立が背景にある。これは数か月にわたって続き、かつ激化していた。今回の戦争は目的達成に失敗し、経済を傷つけ、数万人もの人名を失い、軍事組織と軍隊が争うという危険な状態を作り出した。

 プリゴジン氏は以前から、汚職や嘘、官僚制のもとで生きたくはない、と述べていた。

 一方、ベラルーシ政府の報道官は、今回の合意を導くため、ルカシェンコ氏は一日中、プリゴジン氏と交渉にあたったと述べた。プリゴジン氏はルカシェンコ氏の要求に応じ、状況をこれ以上悪化させないことにも合意したという。プーチン氏はルカシェンコ氏に感謝を述べた、とベラルーシ側は説明している。

 これに対し、ウクライナの防衛次官は政府軍がいくつかの方面で同時攻撃を行っていると述べた。この機会をとらえて、反攻に出ている。ロシア側に内紛が起きていることに乗じた格好だ。ウクライナ側は、プリゴジン氏が暗殺されるリスクを冒した、と予言している。

 https://www.ft.com/content/eb029083-ff02-4a8a-87ab-7813e5c01f11

 プリゴジンは気が狂ったーー。いかにしてプーチン氏の料理人は反逆という料理を提供するに至ったのか。

 隠密の戦争、汚職、そしてお粗末なガバナンスがロシアの大統領統治にとって最大の脅威になりつつある。

 2014年にウクライナと戦うため、最初に登場したとき、覆面をした軍人で構成されるロシアのワグネルグループは、プーチン氏のロシアが新たな戦争のやり方を習熟したのだと世界は考えた。しかし、土曜日に少なくともロシアの一都市をワグネルが占領し、モスクワに向けて進軍を始めるに至って、9年前のウクライナにおける戦争の想定外の結果が噴出した格好である。

 それはプーチン氏の統一するロシアという国の基礎が危うくなっている、という点である。

 数か月にわたり、公の場でプリゴジン氏とロシアの防衛省の間で争いが続いていた。5分間の国民向け演説で、プーチン氏の表情はショックを受けたように見えたが、この混乱は24年に及ぶプーチン統治にとって、最大の脅威を迎えたことを意味する。

 クレムリンの元高官は、最大の失敗は軍隊以外の組織を利用したということだ、と述べた。

 プリゴジン氏の反乱の起源は2014年にさかのぼる。ワグネルはロシアがウクライナ東部を占領するのに際し、協力した。そして、この任務が拡大し、ロシアはシリアやモザンビークの戦争において出撃の拒否権を得るに至った。

 数年前まではプリゴジン氏はワグネルの存在自体を否定していた。しかし、もはやロシアの戦争マシーンとしてワグネルは存在している。

 ワグネルはロシア軍の情報機関であるGRUを源に、ロシアの軍事予算を受け取っていた。そして、ウクライナ戦争が激化するに至り、ロシア軍とワグネルの間でライバル争いがひどくなった。

 結局、プリゴジン事件が起きた主要な理由は、ロシアは効果的な軍隊を作ることができなかったことに起因するという。正規軍とは別に平行して軍事組織を作るのは、巨大なリスクがある、ということだ。

 ワグネルが前線において重要な役割を果たし、軍との対立が激しくなるほど、ワグネルはまるでフランケンシュタインのようになっていった。

 プーチン氏とプリゴジン氏は1990年代、未来の大統領がプリゴジン氏のサンクトペテルブルクのレストランを訪れた時から始まった。

 ワグネル軍はプーチン氏の許可のもと、多くの囚人を集め、構成している。

 それだけでなく、プリゴジン氏はプーチン氏に対し、北朝鮮をモデルとする全体戦争国家のアイデアを採用するよう進言した。プリゴジン氏の昇進はモスクワのエリートたちを恐れさせた。エリートたちを脅し、プーチン氏の支持のもと、資産をシンプルに奪うこともありうるからだ。

 プリゴジン異存は、誤った意味での安全保障をプーチン氏に与えた。プーチン氏は、プリゴジンが孤立しており、かつ党派を組むこともないと考えた。

 https://www.ft.com/content/6f520bca-ad52-479b-9fd5-c1e36e69e88e