快晴。
ガザ地区で人々は争って南へ避難している。ただし、安全な場所はどこにもない、という絶望的な状況である。エジプトとイスラエルが国境を閉じたまま、100トンの支援物資が積み上がっている。
戦争が始まって9日なのに、ハッサン・アブ・セルミヤはすでに3回も「引っ越し」を行った。100万人に及ぶガザ北部の住民に対し、イスラエルが南部への避難を呼びかけ、彼は3回目の移動を行った。最初は、隣人が退去を始めるまで、噂話に過ぎないと思っていた。
66歳の彼はタクシーが見つからず、歩いて南部を目指した。その間、イスラエル軍による空爆が続き、まるでウクライナの大量虐殺の街のようだったと話す。ガザはゴーストタウンと化してしまった。
2007年にハマスがガザ地区の支配権を握って以降、戦争による悲劇は日常のものとなった。イスラエルとの2回の大規模な戦争と、数多くの小さな衝突である。
しかし、今回の衝突は以前にはない大規模なものだ。空爆がこれまでよりも激しくなっただけでなく、死者の数が桁違いである。しかも、電気も燃料も、食料も、飲料もない。
今回の戦争は10月7日に始まり、1300人以上の民間人が殺された。イスラエルは空爆を開始し、食料や燃料などのガザ向け輸出を停止した。ガザではすでに2400人以上が殺された。2014年にイスラエルとハマスの間で起きた50日戦争の死者をすでに上回っている。
今回の南部逃避行は、1948年にイスラエルが建国されたときにパレスチナ人70万人が居場所を追われたときの記憶を呼び覚ましている。ハマスは市民が南部に逃れるのを妨げていると証言している。
飲料水が中でも多くの家族にとって、最大の関心事となっている。医師らは水起因の病気、例えばコレラなどの広がりを懸念している。人々の中には汚い水を飲む人が出ている。
イスラエルは15日になり、南部ガザへの水道供給を再開すると述べた。支援物資はエジプトに積み上がっている。アラブ諸国や国際社会が100トンの支援物資を送った。
ハマスはどうか、ハマスのリーダーは14日、ガザの人々はガザの土地に根付いており、離れることはないと述べた。しかし、彼はこのメッセージをガザではなく、ドーハで発している。ドーハは世界で最も豊かな国の首都である。