リーマンショックから10年が経過する。それを回顧する記事が散見される。
FTのジリアン・テット記者の記事である。冒頭、日銀の中曽・前副総裁からe-mailを受け取ったときのエピソードから記事は始まる。
2007年の夏のことだ。中曽氏のメールは、べいっくのモーゲージやクレジット市場の問題で、金融危機が爆発しそうになっている、という警告から始まっている。
テット記者はこのメールに驚いた。中曽氏の分析に同意できなかったからではない。07年6月以降、テット記者はFTの資本市場編集者としてロンドンで何本も記事を書いてきたからだ。驚いたのは、警告を発したのは中曽氏だったからだ。
中曽氏はロンドンの反対側の東京で、難攻不落の要塞のような日銀のビルで働いていた。彼のカウンターパートである米国や欧州の中央銀行家は、明らかな関心を示していなかったからだ。
それどころか、FRB前議長のグリーンスパン氏は、西側の資本主義市場の勝利を高らかにうたいあげていた。そして、その後任であるバーナンキ氏は、サブプライム問題の影響は限定的で、波及することはない、と述べていた。
なぜ中曽氏はそれほどペシミスティックなのか。彼は、デジャブ、と答えた。その10年前の1997年、中曽氏は銀行危機に直面していた。バブル景気により、1兆㌦に及ぶ不良債権問題が起きていた。2000年になってテット記者が東京を去るときに、ほぼ終わりを告げていたが、世界の金融の歴史上は、日本特有の失敗と注記で記される、と西側の人間は考えていた。米国人やFedの人間は決して、日本と同じ問題で苦しむとは思ってもいなかった。
https://www.ft.com/content/a9b25e40-ac37-11e8-89a1-e5de165fa619